アートって何じゃい

 こないだ新世界アーツパーク事業の先行きが…とか書いたのでその補足を。この事業は、新世界にある今は寂れた遊園地「フェスティバルゲート」の空きテナントをNPOに貸し出してアートスペースを運営させる、という事業なのですが、近年フェスゲが民間の運営会社に委託されたこともあって存続が危うくなっている…とまあ、思いっきり概略するとこうなります。
 個人的には、内橋和久氏が運営するNPO「BEYOND INNOCENCE」の作ったBRIDGEというライブスポットが好きでよく行ってるものの、他のスポットにはほとんど行ったことないし、運営してる人たちと個人的に親交があるわけでもない…という僕がなぜここまでこだわるかというと、このフェスティバルゲートという建物がむかし通っていた高校の近くにあって、完成当初の繁栄からいまの廃れ具合までを見届けているから、かなあ。一般的な大阪人にはおそらく「終わってる」「むしろお荷物」という印象しかないやろうけど、それはあくまで外見の話で、中を見ればそこには魅力的なカオス空間が広がってるんですよ。まあ、ダメなところがあるのは否定できないけど。
 話を本題に戻すと、そのアーツパークの人たちが今後どうしよう…ってんでシンポジウムを開いたらしく、ネットにあがってた詳細なレポートを読んでみたら非常に面白くて。大阪に住んでて、ちょっとでも「アート」っちゅうもんに興味がある人なら、ちょっと長いですが読む価値は十分にあると思います。
http://www.log-osaka.jp/article/index.html?aid=167


 以下、思わずうなってしまった部分を勝手に転載。いやー、それにしても、アートってほんまに何なんやろね。分かりたい/感じたいから行くんじゃー、面白かったらええんじゃー、っちゅうくらいの気で見てる僕ですが。




文化にとっては経済というのは欠くことができないんですけれど、経済からみた文化は、どうも余暇、プラスα、趣味というところに陥っていく。(文化なんて)本来はなくてもいいっていうロジックがそこに太くあるわけです。


経済学者たちは「市場経済が万能だ」と言いますが、それは人類の歴史の中で何年くらいのことを言っているかというと、せいぜい100年です。でも、文化や都市の歴史は4,000年、あるいはもっと長いかもしれません。それなのに、わずか100年くらいで起こってきたことを、これから先もずっと続いていくと考えるのは、経済学者の傲慢です。


90年代初頭の東京都の行政事業の評価のなかで、東京都では建設事業に税金を投じるよりも、芸術文化系のソフト事業に投じたほうが波及効果は大きい、ということがわかっているんです。


NPOが今もてはやされている理由は、パブリック(行政)とプライベート(市場経済)だけでは社会がうまく機能しない段階に入ってしまっているからです。この2つだけでうまくいくならNPOは必要ない。今、行政は財政危機に陥っているし、大企業はどんどん海外へ進出していますね。たとえばトヨタは、史上最高益を挙げているのに、日本の国家は史上最悪の赤字という状況です。そこでNPOという、いわゆる民間の組織だけれど公共的な使命をもって活動するという領域に頼らざるをえない。この社会が病んでいて閉塞状態だからなんですね。世界的に見ても、パブリックでもプライベートでもない中間の団体であるNPOが、環境や文化や福祉など、あらゆる分野で活躍している状態です。


テレビでなされている文法というのが必ずありまして、これは映画の頃から作られてきた文法です。そこで、たとえばラーメンとうどんどちらが好き?という質問をしてくる。視聴者は二択としてとるんですね。「ラーメン」「うどん」と。対立関係が生まれるんです。でもこれは二択じゃなくて四択なんですね。ラーメンとうどんどちらか選ぶ、もしくはどちらも選ばない、どっちも食べる。というのを主張できるはずなんだけど、テレビというのはそのロジックを殺すんですね。見えないようにしてしまう。