長くてうざいし結論もないけど諦めてください

 人間の「性質」というものは様々な要素によって構成されているから、短い言葉で正確に表現しようとすると必ず無理が出てくるはずだ。でもまあ大概の人は「正確さ」なんてものは求めていないので、てきとーに分類を済ませてしまうわけだ(「大概の人」ってのもテキトーな分類だが)。そのほうが楽だしね。
 でも、そうやって分類されてしまった人の中には、「いや、違うんだ」と異論を唱えたい人もいる…んだろうけど、「じゃーどうなのよ。自分で説明してみて」と返されると、おそらく言葉に詰まってしまうことが多いだろう。
 かくいう僕も自己紹介というものが未だに苦手で、例えば「好きな女の子のタイプは?」などと聞かれるととても困ってしまう。テレビをあまり見ないから女優さんの名前もよく知らないし、「うーん、○○って言っても通じるかなー」などと考えてる間に会話が流れてしまっている…ということがたびたびあります。
 えー、話を性質のことに戻しましょう。自分の性質は一体どんなもんか…というのは「行動」「思想」という2つの面から考えることが出来ると思うんだけど、例えば今日の僕の行動から、性質に関わりがあると思える部分を挙げてみると…

  • 昼間から酒を飲みに行っていた
  • 貯金を食いつぶしてゲーセンに入り浸っていた
  • イラっとすることがあって、某所の壁に穴を開けた
  • スッキリするかなと思って人通りの少ない場所で大声を出した
  • 携帯が鳴っても出ない、且つ料金未払い

 うーん、これだけ読むとかなりろくでもない人間のようだけど、酒は毎日飲んでるわけじゃないし、壁に穴開けたのなんて初めてだし…。習慣的な行動を挙げればいいのかもしれないけど、じゃあ習慣とイレギュラーの境目はどう決めるんだ…となるとまた困ることになる。難しいものです。
 では次、「思想」について考えてみます。実はこのことについて今日ずっと考えていたんだけど、要は「僕の考えていることなんて、全部よそからやってきたものばかりなんじゃないか」ということで。例えばピロウズの「確かめにいこう」という曲の歌詞…


自分勝手で大人気なくて 気分しだいで迷ってばかり
タチが悪いのはそんな時も 間違ったことを認めない
仲間といたって寂しくなる 優しくされたってまだ足りない
 であるとか、二宮ひかるハネムーンサラダ」の…

…人前だと言葉がうまく出てこなくて
あせって
話せば話すほど
ほんとうに言いたい事から
どんどんズレてくような気がして
だけど
ぐるぐると考えこんだ割には
ストンと考えのない行動とっちゃうし
結局
相手も自分も息づまりになっちゃって…
 なんかに共感を覚えるんだけど、実際は年がら年中こんなこと考えてるわけじゃないのに、ちょっとした共感がいつの間にか自分の性質になっちゃってるというか…「自分はこういう人間だ」って思い込んじゃってるというか。
 たしかに、他人のことを「あの人はこれこれこうだから」って決めつけると楽になるのと同じで、よそから持ってきた要素をツギハギして「自分」を作っちゃえば楽になるのかもね。いや、でもその過程、「どの要素を選ぶか」というのが、要は自我を形成するってことなのかしらん。うーむ。
 ところで、小原愼司二十面相の娘」にはこういうセリフがあります…

人間には犬も豚も居るんだよ
本から学ぼうなどと思ってては犬にされてしまう
本も読まないようでは豚になる
 どないせぇっちゅうんじゃー…って、でもなんか書いてるうちに頭がすっきりしてきた気がするなあ、ブヒブヒワンワン。